横山光輝作品、特にマーズやジャイアントロボを読んで思った事なのですが、この人の作品には「わたくし」というものが入っていないと感じます。
作品の中にあるのはただありのままの真実であり、使命のままに生きる無性生殖人間であり、命令に従って戦いまた壊れてゆくロボットであり、彼ら自身はその生をただまっとうします。そこには感情や感傷はなく、生きるか死ぬかだけの戦いがあります。
しかし、彼らには、彼らの生き様を見つめる読者である私たちがいるのです。彼らの生き様に何を感じるか、何を見出すか、それはあたかも鏡のように自分自身を映し出すのです。
マーズの登場人物は、みな美しいと感じます。
善も悪もなく、また善でも悪でもある彼らは、私情ではなく使命によって生きているからです。恐ろしいほどの純粋さを感じます。それは、あたかも透明な水のようでそれを覗き込むと、映し出されるのはただ自分の姿です。
彼らに何を感じるかは千差万別で、それは無限の可能性で恐ろしいくらいの自由度です。
そんなところに横山光輝作品の底知れぬ奥深さがあるんじゃないかと思った次第です。